「他人のビジネスを笑う人」は社会経験の浅さを自白しているようなものだってばよ!

Column

「他人のビジネスを笑う人」は、社会経験の浅さを自白しているようなものだってばよ☂️

稚依むにた(著) 2025.5 #ビジネス
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文 / 稚依むにた

稚依むにたです。じつは最近、「ナルト」を読み返しているんです。
いいですね、ナルト。というか、少年漫画って30歳を超えてから読み返すと、まず間違いなく好きになるキャラクターが変わるんですよ。

これはほぼ少年漫画の法則といっていいです。

みんな大好き「HUNTER×HUNTER」でも、10代の頃はジンとかイルミが好きでしたが、新刊が出るたびに読み返していると、一周回ってクラピカ推しになる。
大好きな「テラフォーマーズ」でも昔はアドルフ推しだったのに、30を過ぎると燈が好きになる。
これ、なぜかと考えると、面白い仮説が立てられます。

要するに、作者が主人公サイドに「限りなく近く」描いているキャラクターを好きになっていくんです、歳を取るにつれて。
10代のとき好んでいたキャラクターって、振り返ると「カッコよさ」か「謎めいた強さ」だけで選んでいる。ジンもイルミもそうで、説明できないオーラがあるから無茶苦茶な考察がしやすくて好きなんですよ。

でも30代になると、「このキャラ、なんでこういう判断をするの?」という内側の論理がわかりやすく見えてくるキャラクターの方が好きになる。
クラピカの行動原理って、すごく一貫していて、感情と論理の両方で追跡できる。

それが認知負荷を下げてくれて他のキャラクターの言動や背景に集中できて面白い。要は物語の論理のピン留めができるんです。

作者が「ちゃんと設計した」キャラクターを、やっと受け取れるようになったということなのかもしれないです。

ナルトはむしろ逆

で、ナルトなんですけど。この漫画に関してはちょっと逆で、むしろ主人公サイドから気持ちが離れていくんですよね。

今は切実に「土影」とか「水影」が好きです。元々アニメ勢は土影好きな人が多いですよね。わかります。あの造形の愛嬌と強さのバランス、何より「忍里を背負っている側の人間としての重さ、過去の闇の人間臭さ」が、30代以降の読み方だとすごくリアルに響いてくる。

今はさすがに僕も、自分に写輪眼が開眼するとは思っていないですし(10代のとき、一瞬だけ本気で考えてた気がするのは僕だけじゃないはず)、サスケの自意識は、というかイタチでさえも、正直ちょっと見ていられなくなってきた。うちは一族ファンの方、本当に申し訳ないんですが。

「思想きもい?え、こいつ思想きもい?」 「ポテンシャルに対して成果が薄くない?」 「カカシの方が忍びとしての完成度は高くない?」 「万華鏡写輪眼の開眼は幼いうちならもっとやりようあるでしょ。教育失敗してない?」とすら感じてしまう。

それに、ナルトの終盤って、このあたりの時代に流行った少年漫画ってほぼそうなんですけど、インフレ後はほぼ「ワンパンマン」なんですよ。

「主人公やボスポジションの敵を含む、強さの一線超えた最強の連中」と「ガイやカカシ、五影みたいな普通枠のとんでもなくすごい奴ら」この線引きが明確にあって物語が進みます。

問題は、この線が引かれた瞬間に「普通枠のとんでもなくすごい奴ら」が事実上機能しなくなるということです。そのインフレには読み手の没入できるかの許容範囲があります。

ワンパンマンがうまいのは、この構造を最初から主題にして、しかも期待させずにさばいているところです。呪術廻戦も一部そうですね。

とはいえナルトもブリーチもワンピースもあの頃の少年漫画は大好きです。

でも今振り返ると、登場人物の「強さの上限」に大きな変化がない作品の方が、長く好きになれるなと思うんです。

これがハンターハンターをはじめとする、リアリティー側ですね。ざっくり鬼滅や出会って5秒でバトルも嘘喰いも、
少なくとも「作品の最中は」主人公が急に強くなってワンパンで解決。みたいな展開がない。あったとしても代償が伴う。
また、心理戦の方が勝敗に大きく左右する。そもそも勝ち負けの概念が読者に委ねられる。

それは、「強さのインフレ」ではなく「判断のリアリティ風」で勝負してる作品だからです。

さてさて。

友人のTくんの話

最近、僕の数少ない友人であるTくんが取り組んでいる事業に対して、「なんかムカつく」「嫌い」なんて言いふらしている人がいたらしいんです。
しかも、言いふらされた側が何人もTくんに相談してきたと。

それを「焼肉人生タロちゃん」でカルピスソーダ片手に聴いた時は、思わず吹き出してしまいました。ごめんねTくん。

タロちゃん、コスパよく見えて夜の客単価は2万くらいです。ヒロキヤ系列と変わらない水準なんです。コスパは全然よくない。なのに不思議と行ってしまうのが「焼き肉人生タロちゃん」のすごさなんですけど、その夜飲めなかった僕には、サガリとヒレを黙々と食べてカルピスソーダを飲んだ記憶と、Tくんの悔しそうな、何より寂しそうな顔の記憶しか残っていないんです。

最初に思ったことを正直に書く

でも、その話を聞いたときにまず頭に浮かんだのは、正直に言うと「どこに勝算あるんだよ」でした。Tくんに向けてじゃなくて、文句言ってる側に向けてです。

残念ながら僕は、社会の構造を理解しようとせず、自分の感情の言語化も放棄したまま、他人の足を引っ張ることだけに熱量を使える人間に、基本的に興味が持てないんです。

理由は単純で、時間がもったいないから。ナルトを読んでいる方が何倍も楽しいし、間違いなく人生が充実します。
とはいえ、さすがにTくんへの足の引っ張り方がひどすぎるとも思いました。

僕はここに名前なしで感想を書きますが、これ以上実害与えてきたら本名に変えますよ。と最後に本名かきますよ?

そういうブログです。

Tくんという存在について整理する

ここで一回、Tくんのことをちゃんと書いておきます。
Tくんはどんな学歴厨も認める高学歴で、有名な外資の企業に入って、20代のうちに独立して、自営業で外資の看板を背負いながらしっかり稼いでいる。

普通にすごいです。「普通にすごい」という表現、実は意外と難しくて。「すごい」には「わかりやすくすごい」と「わかりにくいけどすごい」の二種類があります。

Tくんは前者で、調子に乗ってるように見えるかもしれないけど、僕からすると凡事徹底で仕事して、遊ぶときに思いっきり遊んで、趣味でも結果を出して、変な癖はあるけど人から好かれている。正直に言うと、普通に羨ましいです。

アンガーマネジメント、失敗した話

最初は余裕ぶっこいて、「まあまあ気にしなさんな」ってカルピスソーダ片手に諭していたんです。帰ってNARUTOも早く読みたいし。
でもあとから、じわじわイラついてきた。

よく考えたら、Tくんだけの話じゃないんです。僕はTくんの受託業のシステム設計・構築に関わっているし、僕自身のクライアントや加盟店に対しても、間接的に「そういう事業は胡散臭い」と言っている構造になっていることに気づいた。

やばいやばい、と思って「よーし仙人モード。チャクラを身体の中心に…ふぅー」ってやってみたんですけど、無理でした。
普通に無理。はい。書きます。

Tくんのお仕事について整理する

ここを書かないといけません。T君は普段は某外コンの名刺で業務委託でPMOをしていました。今回はT君の副業の話で、彼には幼い時からの趣味があって、その趣味の成果物をとあるプラットフォームに載せると、色々あって想像以上のお金がある日入ってきた。

※ここからは本人特定を避けて一部表現を変えて書きます。フィクションということにしてください。

Tくんはその上でプラットフォーム内にプラットフォームを作る感じでいろんな人の同ジャンルの作品を置いて外部のサイトに誘導してそこでマネタイズした。
それをすると売上は一旦T君に入る+僕が用意した月額課金制のサブスク型のクレカ決済をLPに用いることで

売上が定期的にガツンと入ってくる、利益配分は売上発生日の翌月末なのと、そもそも事業者としての固定収入が多いので
全部を事業としてみた場合、キャッシュフローは当然金融機関からの見え方が良いということに気づいた。

そこで、(おそらく)金融機関からがっつり借入できた。それを元手に違うプラットフォームでも同じようなコンテンツを上げ始めた。
その間に派手に遊んでいるのをSNSとかに上げちゃったり、噂でたまたま知られた、きっかけはそんなところでしょう。

固有名詞を出すとバレるので、ざっくりこんな感じです。まずTくん何も悪いことはしていません。
例えばYouTuberが自分のチャンネルで自分のサービス宣伝して、別のサイトや店舗で購入させる。
そのほかにもInstagramやTikTokで同じようなことをする。これと変わりません。

それにそもそも僕とTくんが初めて出会ったのは歌舞伎町の雑居ビルのバーで、初めて見た彼は上半身裸でおもちゃの手錠をされて自分より一回りは若いであろう女の子にネクタイでしばかれて喜んでました。ようは派手な(というかバカみたいな)遊び方は10年以上前のサラリーマン時代からしてるわけです。

今回のきっかけは「他の人のコンテンツも自分のチャネルで売ったこと」「派手な遊び方がSNSで流れてきた」「T君の喋り方や挙動が天才っぽくて嫌」そんなところでしょう。

「胡散臭い」という言葉の解剖

さて他人のビジネスに対して、「やり方がずるい」「うさんくさい」「なんか嫌い」。

これ、かなり頻繁に聞きます。田舎のおばちゃんやおじちゃんが都内から来た初対面の人間に対して帰った後に
「胡散臭い」「なんか嫌だ」という人が多いのと構造は似てます。

まずこれを言った瞬間に何が起きているか、少し丁寧に分解させてください。

それをいう人たちは「うさんくさい」という言葉、定義できてますか?

いやいやわかりますよ。「なんとなく信用できない感じ」という意味で使われることが多いですが、それは定義じゃなくて感想です。感想を定義だと思ってしまうのが、この手の発言する人の一番の問題で。「うさんくさい」には、大きく分けて三つの使われ方があります。

一つ目は「詐欺的な要素がある(法的・倫理的な問題)」という意味での使用。

二つ目は「自分の経験値では構造が理解できない」という意味での使用。

三つ目は「自分が損をしている、または損をした人を知っている」という感情からの使用。

問題は、「うさんくさい」と言っている人の大半が、自分がどの意味で使っているかを把握していないことです。これが本当にやばいんです。

一つ目ならまだ話になります。具体的に「どの部分が法的・倫理的に問題か」を指摘できるなら、それは批判として機能している。

でも、二つ目と三つ目のケースで「うさんくさい」を使うのは、要するに「私はこの構造を理解できていませんが、理解できないことを認めたくないので否定という形式を使います」という表明に過ぎないんです。

これは資本主義の日本ではなかなかコストが高い選択です。なぜなら、「理解できない」と認めれば学習の余地があるのに、「うさんくさい」と言った瞬間に学習回路を自分で閉じてしまうから。よくよく分析すると「自分で稼ぐ必要のない人」がこういう発言をよくする傾向にあるのはそういう意味合いがあります。

一般的なビジネスの構造について、最低限の話をする

少し基礎的な話をします。ビジネスというものを突き詰めると、本質的には二つしかない。「価値の交換」か「課題の肩代わり」かです。これ以上でもこれ以下でもないんです。

深夜の清掃業でも、商店街の八百屋でも、フリーランスのWebデザイナーでも、六本木のクラブでも、変わらない。
「誰かが持っていないものを持っている人間が、対価を受け取る」だけです。

そこにニーズがあり、対価が支払われているなら、法律に違反していないなら、それは成立しているビジネスです。

「でもなんか信用できない」「正直、好きじゃない」。

これはビジネスへの評価ではなく、自分の身を守るための感情報告です。

感情報告自体は誰にでも許されているし、止める権限は誰にもない。でも感情報告を「批判」だと思って発信するのは、別の話です。

しかも、あとから「社会貢献してない」とか「搾取構造だ」という言葉を足してくるパターンがある。これは後付けです。最初にあった「なんか嫌だ」を、それっぽい言語で包み直しているだけで、論理の構造は変わっていない。ロジックと答えが一致していない。変数とファクトがぐちゃぐちゃ。これは僕の知ってる限り「まともに社会に出た経験がない人、または他人の資産で道楽で生きてる人」たち特有の癖です。

「セーフティゾーンの人間」の思考パターン

こういう人って厄介なのは、自分では「ちゃんと考えている側の人間」だと思っています。
でも実態は逆で、自分が理解できないものを全部「怪しい」というラベルで処理することで、思考を回避している。

これは思考ではなく、防御反応です。もう少し正確に言うと「認知的不協和の回避」や「認知不可からの逃げ」です。これは社会人が普段から戦っているコミュニケーションでは当たり前のことです。

「自分の知らない方法で稼いでいる人間がいる」という事実は、「努力すれば報われる、正しいルートがある」という自分の世界観と矛盾する。なんなら「我慢=お金をもらう」という小さい時からの信念とも矛盾が生まれる。

この矛盾を解消するために、「あいつが稼いでいるのは、うさんくさいことをしているから」という解釈を採用するわけです。

そうすれば自分の世界観は傷つかない。でもその解釈の代償として、何かを学ぶ機会と、何かを理解する機会と、何かを試みる機会を、全部手放すことになります。
このコストパフォーマンスは、相当に悪い。

普通の人間が持っているアセットでできるビジネスの現実

ここで少し現実的な話をします。

非常に残念なのですが「普通の人間が持っているアセット」でできるビジネスって、正直かなり限られています。

自己資金でSaaSを立ち上げて上場するとか、アプリを一発当てるとか、カフェやって軌道に乗せるとか。「やらない」んじゃなくて、前提条件が違うから「普通はできない」んです。

特殊なアセット(資金、コネクション、技術、時間)がないまま独立して、それなりの収益を上げようとしたら、現実的には「代行、仲介、マッチング」あたりが主戦場になります。そしてこのエリアのビジネスは、構造上「見えにくい」んです。何かを作っているわけでも、何かを売っているわけでもないように見える。だから「うさんくさい」と言われやすい。

でも「見えにくい」と「うさんくさい」は全然違う概念で、この二つを混同するのは「私はこの構造を理解したことがありません」という告白に等しい。

漫画の話に戻る

結局これ、ナルトの話と同じなんです。10代の頃は、「なんとなくおいしいポジションで強い登場人物」に感情移入して、他のキャラクター存在を「それ以外」と感じていた。しかし自分のその感覚が特別でないことに段々と気がついていく。

30代になって視点が変わると、それまで見えなかった構造が見えてくる。土影や水影が好きになるのは、「忍里という組織を背負って判断している人間の論理」が主人公サイドとの対比で面白く読めるようになったからです。

でもそこで「ナルトの世界観に合わない」と言って本を閉じたら、ずっとそのままなんです。「なんか嫌い」で止まっている人が怖いのは、止まっていることに気づいていないことです。

最後にもう一回だけ

「なんかムカつく」「嫌い」。それで止めるのは、本当に楽なんです。コストがかからない。自分は何も傷つかない。イライラが何か言語化できないから。
でも楽な分、何も進まない。

そしてこれが一番大事なんですが、楽な選択を何度も繰り返した人間は、あるとき気づくんです。

「うさんくさい」と言っていた側の人間が、いつの間にかずっと遠いところにいる。 そのとき後悔しても、時間は返ってこないです。

Tくんのことを「なんか嫌い」と言っていた人たちへ、これはあなたへの手紙です。そしてT君の事業はいっさい胡散臭くありません。そういやあなたは大手コンサル会社も嫌いって言ってましたよね?コンサルを使ってる大企業の人からは聞いたことない言葉です。

もっと勉強して想像力を持ってみてください。きっと都心の不動産の暴落とかタワマンバブルの崩壊とかも望んでいるんでしょうね。インフレ率とかは考えられないから枝葉の話ばかりする。こうやって持たざる者は思想すら制限されるんです。日本は悲しい国です。

怒っていません。ただ少しだけ、惜しいと思っている。他責から抜け出してください。

それでは今日もここまで読んだあなたにだけ、おやすみなさい☂️

文 / 稚依むにた