株式会社RAHU代表取締役・天田陸人(あまだりくと)さん。東京・三軒茶屋を拠点にフォトグラファーとして活動し、音響ブランドSoundWich(サウンドウィッチ)を運営する。

Interview — No.011

海街出身のフォトグラファー天田陸人。
三軒茶屋にて写真と音響、2つの仕事をひとつの会社へ。

天田 陸人株式会社RAHU 代表取締役 / フォトグラファー— Rikuto Amada2026.08
撮影について話す株式会社RAHU代表取締役・天田陸人さん

Profile

株式会社RAHU 代表取締役

フォトグラファー

昼間は介護施設でヘルパーをしながら夜間高校へ通った学生時代。そこで手にしたカメラにのめり込み、フォトグラファーの道へ進んだ天田陸人さん。専門学校卒業後に上京し、代官山のスタジオ、広告代理店のアシスタントカメラマンを経てフリーランスとして活動する。2024年には株式会社RAHUを三軒茶屋に設立。今年3期目を迎える。

とある日のスケジュール

07:00
起床。前日の撮影データのバックアップを確認し、メールと問い合わせに返信する。
09:00
三軒茶屋の事務所で機材を積み込み、アシスタントと合流してスタジオへ移動。
10:00
スタジオ到着、照明をセッティングしモデル撮影
16:00
事務所に戻り、セレクトとレタッチ。合間に見積もりの作成とスケジュール調整。
17:30
梅木とSoundWichの案件共有。翌週のイベントに必要な人員と機材の確認をする。
20:00
撮影データの納品準備。翌日のロケハン資料に目を通して終業。

株式会社RAHUが取り組む領域

01
人物・企業・イベントなど、目的に応じた写真撮影
02
イベントや発表の場を支える音響業務
03
大型案件の経験を生かした、中小規模の相談への対応
04
知識だけで終わらず、現場経験へつなげる音響教育の構想
写真と音響の二つを軸に、現場経験とチーム体制を生かしながら、受けられる仕事の幅を広げている。

Q:高校時代は、仕事と学業を両立していたのですね。どのようにフォトグラファーを志すのでしょうか。

夜間の高校へ通っていたので、昼間に働くという生活でした。ご縁があり、契約社員としてヘルパーの仕事を始めました。そのとき、仕事を続けながら介護の資格も取りました。

世間のイメージ通り大変な仕事ではありましたが、自分的にはヘルパーの仕事自体はそこまで嫌ではなくて、どちらかというと向いていたんだと思います。写真につながることをいうと、相手の生活に近いところで、その人が必要としていることを考えながら動く仕事ということです。今振り返ると、仕事を自分の都合だけで考えず、相手の事情を含めて考える感覚は、この頃から身についていったのかもしれません。

また、同時期に写真も撮り始めていました。学校、仕事、写真が別々に存在していたというよりは、日中は働き、夜は学校へ行き、空いた時間にカメラを持つという生活のなかで、全部が同時に流れていたような感覚です。

Q:カメラに興味を持った最初の理由を教えてください。

子どもの頃から、毎日同じ場所にいるよりも、とにかく景色が変わる仕事をしたいと考えていました。高校生の頃にカメラを手にして、身の回りのものを撮るようになったんです。

最初から将来カメラマンになると決めていたわけではありませんが、撮っているうちに、自分でも良いなと思える写真が撮れた瞬間があったんです。そこから少しずつ楽しくなっていきました。

天田陸人(株式会社RAHU)の撮影作品
Photography by Rikuto Amada

風景だけではなく人物を撮るようになると、さらに面白さが増しました。学生時代に、知り合いから紹介してもらったモデルさんを撮影した際に、目の前の人と向き合いながら撮影を進めるうちに、頭がシンクロしていくような感覚がありました。そうやってポートレートとして撮影をする空間自体にも、作品として写真をつくる時間にも、なんとも言えない緊張感と快感が共存するような感覚を覚えました。自分はその感覚に強く惹かれていることが分かり、もっと体系的に学びたいと思って写真の専門学校へ進みました。

Q:人物、とくに一対一のポートレート撮影が好きなのですね。

完成した写真を見ることも好きですが、自分は撮っている最中の時間に一番面白さを感じます。一対一で向き合っていると、最初は少し距離があっても、会話やシャッターを重ねるうちに、お互いの集中が高まっていきます。表情や姿勢が変わり、こちらも同じように撮り方も変わっていく。その場でしか生まれない流れがあります。その状態にうまく入れたときは、周囲のことが気にならなくなり、その場にいる人たちの集中だけで別の空間へ進んでいくような感覚になります。

たとえばわかりやすく音楽で言えば、決められたものをそのまま再現するのではなく、相手の出したものを受け取り、自分も返していくようなジャムセッションに近いと思います。

Q:撮影者の一方的な感性でなく、被写体の感性とシンクロして一緒につくっていると感じられる時間に、ポートレートを好きになった背景があるということですね。そんな地元でのヘルパー、学生、写真家見習いのような生活の後に、大阪の専門学校を卒業したとのことですが、実際のプロの撮影現場はどのような経験からスタートしましたか?

専門学校を出た後は、東京の代官山にあるスタジオへ入りました。そこでは、すぐに自分の名前で撮影するのではなく、現場がどう準備され、どう進み、どう片づいていくのかを含めて、撮影を成立させるための基礎を学びました。

表に出る一枚だけではなく、その一枚を撮るまでに必要な段取りや、現場での動き方を身につける時期でした。非常に厳しい環境でしたが、毎日フラフラになりながら耐えた思い出があります。笑 いまでも覚えているのは、お腹が空いても、下っ端のスタッフには食事の時間すらないんです。なのでみんなポケットにチョコレートを忍ばせて、撮影の合間の転換で荷物を運ぶ最中に、こっそりバレないようにかじったりしていました。笑

その後、広告代理店に所属するカメラマンのアシスタントになりました。いわゆるカメアシと呼ばれるもので、業界では、プロ活動が軌道に乗るまでの働き方として一般的です。スタジオの仕事とはまた違い、特定のカメラマンの近くで、判断や仕事の組み立て方を見ながら動く立場です。

その頃は将来的に制作会社や代理店に所属するカメラマンとして働く道も考えていたので、そのための経験を積んでいるつもりでした。

Q:その時期に、一度広島へ戻る決断をしたのはなぜですか?

アシスタントになって間もない頃、母が病で大きく体調を崩しました。生死に関わる状況だったので、広島へ戻りたいと師匠に相談したところ、「お前が行っても状況変わらなくない?」と言われたんです。

言葉だけを見れば厳しいですし、感情的にはぐちゃぐちゃになりました。納得はできませんが、仕事を軸とした場合の理屈としては否定もできません。この時の問いは自分にとって、仕事と家族のどちらを優先するのかを、自分で決めなければならない場面でした。そのとき、もしここに居続けたら、自分にとって大切なことの優先順位を自分で決められなくなると思いました。

会社に所属するカメラマンを目指していましたし、自分には営業力がないとも感じていたので、辞めることには不安がありました。それでも、最終的には仕事を離れ、地元の広島へ戻ることを選びました。

そのまま広島では半年ほど過ごし、奇跡的に母は回復しました。結果がどうなったかだけではなく、自分で決めて、その選択の責任を持ったことが大きかったと思います。後に会社をつくり、最終的な決定を自分が担うと決めた背景にも、この経験はつながっています。

天田陸人(株式会社RAHU)の撮影作品
Photography by Rikuto Amada

Q:東京へ戻ってから、フリーランスとしてどのように仕事をしていましたか?

東京へ戻った後は、環境を少しリセットしてフリーランスとして活動をはじめました。とはいえ、最初から自分の案件だけで成り立っていたわけではないです。アシスタントの仕事を続けながら、自分に依頼された撮影も少しずつ受ける形で暮らしていました。現場を手伝う仕事と、自分が撮影者として責任を持つ仕事が並行していました。

続けていくうちに、仕事の流れは安定していきました。依頼を受け、撮影し、納品する。その一連の動きが身につき、生活としても仕事としても回るようになった一方で、同じ流れを繰り返している感覚も強くなりました。安定したこと自体は良いのですが、新しい行動が減り、自分のなかで少し退屈さが出てきたんです。カメラを手にした際のきっかけにもつながります。毎日景色が変わるような生活がしたい、というのが根本の感情としてあるんです。その後、何年かフリーランスをつづけて、株式会社RAHUを設立しました。

Q:法人設立後も引き続き、写真事業をメイン事業の一つに据えてらっしゃいますね。法人化のきっかけを教えてください。

法人化の背景として、代理店や大きな企業の案件では、個人よりも法人のほうが契約や発注の相手として選ばれやすい場合があります。

とはいえ個人的には、事業としてはフリーランスのほうが動きやすいと考えていますし、自分一人のためだけに会社をつくるメリットは、それほど大きく感じていませんでした。

どちらかというと、安定した先で、事業として次の段階のことを始めたくなった、という面が大きいです。また、自分の仕事を続けるだけではなく、会社として仲間と一緒に、今までと違う形をつくってみたいと思うようになりました。それに今後、仕事の幅を広げるなら、会社という受け皿が必要だと考えました。

Q:一人の写真事業だけで法人化するのではなく、音響という別の専門領域と組み合わせて株式会社RAHUを展開されていますね。

はい。RAHU取締役の梅木と設立したのですが、彼は学生時代から音響業界にいて、もう業界に20年近くいるプロフェッショナルです。大きな枠組みでの発想としては、写真だけ、音響だけで考えるのではなく、二つを持ち寄ることで、一人ずつでは届かなかった仕事へ進める。五十と五十を合わせて百を目指すような考え方でした。ですが、きっかけは単純に「面白そうだから」というシンプルなものです。笑 もちろん当時のお互いの仕事の背景として、業界歴も長くなって30代になっていましたし、実務上の必要性もありました。実務上の都合と、気持ち。両方が法人化の理由です。

Q:写真と音響を、一つの会社で扱おうと考えた理由をもう少し踏み込んで質問させてください。フォトグラファーと音響は一般的にはどちらもかなりの専門職だと思います。ですが、それぞれ必要な技術も機材も違いますよね。

はい。その通りです。笑 あえて無理やり言葉にするとしたら、依頼を受け、準備し、「当日の現場に責任を持つ」という点では共通しています。

その上で、自分が写真の経験を持ち、相手が音響の経験を持っている。得意分野が重ならないからこそ、会社として対応できる範囲が広がります。どちらかがもう一方を手伝うだけではなく、それぞれが専門領域を持ったうえで、一つの会社として受けることに意味があると思いました。

Q:大きな項目としては受託×クリエイティブ×現場みたいなイメージで同じジャンルの仕事として存在していて、中項目としては全く違う。そんなバランスの2つの事業の状態が、専門性の掛け合わせみたいな方向ではなく、会社としての存在意義として成り立っているイメージですね。

はい。無理に掛け合わせるのではなく、方向性は同じで違う事業をやる。時には協力体制を取りつつ、時にはビジネス軸で判断もとれるので、とてもメリットがあると考えています。

また、仕事の窓口が会社になることで、個人のスケジュールだけでは受けにくかった相談にも、チームとして考えられるようになります。すべてを一人で抱えるのではなく、異なる技術を持つ人が同じ責任のもとで動く。RAHUではその形をつくりたかったんです。

梅木(SoundWich代表/株式会社RAHUの音響事業部)には、自分と違うスキルがあります。そのうえで、仕事に対する取り組み方という価値観は比較的近しいので、一緒にそれができると考えました。

高校時代からの友人で、当時から音楽や音響の知識と技術を持っていました。長く付き合いがあるから誘った、というだけではありません。先ほどの話に戻りますが、自分が新しい形をつくりたいと思っていた時期に、相手も独立を考えていました。

それぞれ別の場所で仕事をしてきましたが、独立というタイミングが重なったことで、一緒に会社をつくる話が現実的になりました。写真と音響を組み合わせる構想だけが先にあったのではなく、信頼できる相手がいて、その相手が動こうとしていたから形になった部分もあります。

Q:会社を設立する際、二人の間でどのようなことを話し合いましたか?2事業を同時に始めたとのことですが、法人設立の仕組みを考えるとシステム的にややこしそうだと感じるのですが。たとえば創業メンバーお二人の実務に使う所持機材が、そもそもとんでもない量がありそうだし、資本に現物を入れたのかとか、責任の所在など、どうやって決められましたか?

問題が起きたときに誰が責任を負うのか。実際に続けるためには、細かい条件を一つずつ決める必要があります。

友人であることは、相手の性格や仕事への向き合い方を長い時間のなかで知っているという強みになります。ただし、友人関係の延長だけで経営すると、判断が必要になったときに曖昧さが残る。そのため、会社を始めるときには、関係性に甘えず、役割と責任を先に決める必要がありました。

仰る通り、写真と音響では、仕事に必要な機材やお金の使い方も同じではありません。担当する領域が違う二人が一つの会社に入るからこそ、単純にすべてを半分にすれば公平になるわけではないと考えました。表面的に同じにするより、誰がどこを担い、最後に誰が判断するのかを明確にするほうが重要です。

知人同士で会社をつくる場合、話しにくいことを後回しにしがちですが、後から問題になる可能性があります。だから設立時に、仕事の分担だけではなく、意思決定と責任の所在まで話しました。最初にそこを曖昧にしなかったことは、現在まで大きく揉めずに進められている理由の一つだと思います。

Q:最終的な決定権を天田さんが持つ形にしたとのことですが、世間一般的には共同創業といえばトラブルだらけのイメージですよね。そのあたりはどのように話し合い、対策しましたか?

そうですね。笑 二人が完全に横並びで、意見が割れたときに誰も決められない状態は絶対に避けたいと考えました。それぞれの専門領域を尊重したうえで、最後に会社として一つの結論を出す人が必要だと思ったんです。設立時に、「何かあったときの責任は自分が取るので、最終的な決定は自分に持たせてほしい」と正直に伝えました。その上で、株式も自分が多く持っています。決定権だけを持つのではなく、その結果について自分が責任を負うこととセットです。きちんと説明して相手にも納得してもらったうえで、その形を選びました。

経営では、誰かにとって不満の残る判断をしなければならないこともあります。一方で私自身は「誰かの感情も仕事の計算に入れる」ことを大切にしています。そのときに、関係を守るためにも、どちらが最後に決めるのかが最初から分かっていることは大切です。仲が良い相手と長く続けるために、決定の仕組みを明確にしました。

天田陸人(株式会社RAHU)の撮影作品
Photography by Rikuto Amada

Q:「誰かの感情も仕事の計算に入れる」という考え方は、非常にセンスの要素だと感じます。マネジメントでもあり、根本のビジネスセンスに近いと思います。色々なビジネスマンと話す中で、とくに天田さんからはそれを感じるのですが、実際のリアルな経営にどう表れていますか?

仕事では、売上や利益、時間、効率を考える必要があります。ただ、人と一緒に働く以上、それだけで決めると続かないことがあります。相手がどのような状況にいて、何を不安に感じ、どこで力を発揮できるのか。ただのマネジメントとして分けるのではなく、その人の気持ちも売上や利益や経費と同じように、ビジネスの要素の一つとして考えることが、長期的な関係性の構築として必要だと思っています。

もちろん、会社として守るべき判断はありますし、最終的な責任は自分が持ちます。そのうえで、数字だけを見て「これが正しい」と決めるのではなく、その判断で一緒に働く人や依頼者がどう感じるかまで考える。感情を計算に入れるというのは、感情だけで決めることではなく、現実の一部として人の存在を扱うことだと思っています。

高校時代のヘルパーの仕事、家族の事情で広島へ戻った経験、フリーランスの経験、旧友と会社をつくった経験。それぞれ別の出来事です。ただ、どの場面でも、仕事と人の事情を完全に切り離すことはできませんでした。その積み重ねが、今の判断の仕方につながっていると思います。

Q:ありがとうございます。素晴らしい考え方ですね。次は、いま何を考えてどのように意思決定されているか教えてください。たとえば資料をみると、1期目は、大きな案件への対応が中心だったそうですね。

はい。とくに音響事業(SoundWich)の話になりますが、創業当初はリソースを大きく使う案件への対応が中心でした。会社として大きな仕事を経験できたことは強みになりましたし、梅木自身「一生あの会社とのご縁を大切にしたい」と話しています。彼自身のキャリアの核になるような素敵なご縁もできていきました。RAHUとしても、現在の仕事に対する考え方の基盤になっています。

一方で、会社としては人員に余裕がなく、その案件を進めるだけで手いっぱいになる時期もありました。その結果、問い合わせのある小さい相談を断ることがありました。当時は、目の前の大きな案件を確実に進めるために必要な判断だと考えていましたが、後から見ると、会社として受けられる仕事の入口を狭めていた面もあると反省しています。

一つの大きな案件に頼る状態では、その案件がなくなったときの影響も大きくなります。大きな案件を経験することと、小さな相談を大切にご縁を増やしていくこと。これはどちらか一方を選ぶ話ではありません。会社として成長するには、両方が必要です。

1期目と2期目は大きな仕事に集中したからこそ、3期目の今は、その経験を持ちながら、受ける仕事の幅を広げる必要性が見えるようになりました。

Q:音響ブランド「SoundWich」の仕事では、案件とのつながりをどのように考えていますか?

音響業界は、いろんな企業が日常的に発注するような仕事ではありません。新しい案件との接点が多い業界ではない一方で、一度一緒に仕事をして信頼関係ができると、次のイベントや翌年の開催時にも声をかけてもらえることがあります。いわゆるニッチな業界です。

なので、単発の金額だけではなく、その仕事が次のつながりになる可能性までしっかりと考える必要があります。利益が出ない条件で何でも受ければいいわけではありませんが、価格や規模だけを見て入口で断ってしまうと、その依頼者と仕事をする機会そのものがなくなります。

まず相談を聞き、必要な内容やリスク、使える予算を整理したうえで、会社としてできる形を探す。その姿勢が大切だと考えるようになりました。技術職として品質を守ることと、依頼者が相談しやすい入口をつくることは両立できると考えています。

SoundWich(サウンドウィッチ)は、責任者である梅木の音響オペレーターとしてのスキルが、業界的に圧倒的に高水準にあります。ですが、スキルが高いからといって高い技術が必要な大型案件だけを受けるのではなく、小さな発表会やイベントの相談にも真摯に向き合うことで、会社としての経験も関係も広がって成長していくと思っています。

Q:ありがとうございます。今年3期目を迎えた現在、会社はどのような段階にありますか?

まず写真事業のほうは、マイペースですが右肩上がりに案件や売上が増えています。本当に、関わりのある皆さんに感謝です。

音響事業であるSoundWichは、現在は人も増えており、ビジネスとしての投資や社内の教育にも少しずつ取り組めるようになりました。「音響屋の卓ちゃん」(Instagram)をはじめとするSNSでの発信活動にも力を入れています。

嬉しいことに、Instagramでは開設2ヶ月ほどで1万人弱のフォロワーがつきました。昨日開始した公式LINEも、たしか800人ほど登録いただいています。現在は「卓ちゃんコンシェルジュ」という、無料で音響に関する質問に本人が直接答えるサービスも提供しています。(公式LINEはこちら

こういった小さなつながりや縁を大切にする姿勢で、少しずつ種を蒔きながら、いろいろな挑戦をしていくのを目標にしています。

まとめると、3期目は、完成した会社になったというより、1期目で見えた偏りを修正しながら、種をまき、投資をして、少しずつ「会社として」次の形へ進んでいる時期です。

最終的には、写真事業は良い意味でマイペースに、品質を落とさないことを第一に引き続き行います。いずれ、写真と音響が必要な現場を専門に受けられる会社としての軸を築きたいです。

音響事業SoundWichのほうでは、大型案件と中小案件、レンタル事業や教育サービスなど、音響の既存の仕事と新しい相談、現場と教育。その複数の軸を、どれか一つに依存せず育てていくことが今の目標です。

天田陸人(株式会社RAHU)の撮影作品
Photography by Rikuto Amada

Q:つぎは、将来フォトグラファーや音響の職につきたい人を想定した質問をさせてください。まず経営者としては、発注者から相談を受けるとき、最初に何を整理したいですか?

写真でも音響でも、依頼者が最初から必要な機材、人数、進め方をすべて理解しているとは限りません。「撮影してほしい」「イベントで音を出したい」という希望はあっても、そのために何を決めればいいのか、どこにリスクがあるのか、相場がどのくらいなのかが分からないことは多いと思います。

だから、最初の相談では、目的と現場の条件を一緒に整理することが大切です。何を実現したいのか、どこで行うのか、誰が参加するのか、どの程度の品質が必要なのか。条件が見えれば、必要な準備や費用も具体的になります。受けられない内容であっても、なぜ難しいのかが分かれば、別の業者へ相談するときの判断材料になります。

依頼者の代わりにすべてを決めるのではなく、依頼者自身が案件の解像度を上げられるように話すことを意識しています。発注前の段階から、専門職側の都合だけで話さず、相手が判断できる情報を渡すことも仕事の一部だと思っています。

Q:SoundWichで構想している音響教育は、どのような人を対象にしていますか?

音響を学ぶ道としては、専門学校へ行くか、音響会社へ入って仕事をしながら覚える形が中心でした。その二つだけではなく、必要な部分から学べる第三の選択肢をつくりたいと考えています。現時点では構想段階ですが、オンラインと対面を組み合わせ、仕事や活動を続けながら学べる形をイメージしています。

副業のフォトグラファーがたくさんいるように、音響も副業のプレイヤーが増えて良いと感じています。ただ一方で、超専門職だからこそ、実践やプロとのコミュニケーションがないと得られない必須知識も多いですし、情報も日々更新されます。

SoundWichの音響スクールが対象として想定しているのは、まず最初からプロの音響スタッフを目指している人。この方たちはそもそも梅木と相性が良いので、そのモチベーションで来てくれて良いと思っています。そしてそれ以外の、会社で急に音響担当になった人、社内イベントや発表会を運営する人、教室で自分たちの音響を扱っている人、個人で機材を触っている人など、すでに音を出す必要があるのに体系的に学ぶ機会がなかった人。そういう方にプロが本気で指導することを課題として想定しています。

機材をつないで音が出る状態と、会場や出演者に合わせて安全に運用できる状態は同じではありません。設定の意味、音量の考え方、トラブルを避ける準備など、現場に出る前に知っておくべきことがあります。専門職になるための長い教育だけではなく、今の担当業務を一段上げるための学びも提供できるようにしたいです。

Q:知識を教えるだけでなく、実際の現場につなげたいと考えているのはなぜですか?

音響は、機材の名前や操作方法を覚えるだけでは分からないことが多い仕事です。現場には入り時間があり、設営、確認、本番、撤収までの流れがあります。会場の条件も毎回違いますし、出演者や主催者とのコミュニケーションも必要です。座学だけでは、仕事全体の時間の使い方や、どの順番で準備すれば安全なのかまでは身につきにくいと思います。

そのため、学んだ人が希望し、準備ができていれば、実際の現場を経験できるところまでつなげたいと考えています。最初から一人で任せるのではなく、現場へ同行し、準備や進行を見ながら経験を積む形です。仕事としての音響を知ることで、自分が専門職を目指したいのか、現在の活動に必要な範囲を学びたいのかも判断しやすくなります。

教室の中だけで完結する教育ではなく、現場へ出るための入口にする。会社が実際の案件を持っていることを、学ぶ人の経験へ還元できれば、専門学校や就職とは違う学び方になると考えています。

Q:最後に、株式会社RAHUを、これからどのような会社にしていきたいですか?

まずは社員を増やしたいですね。とくに音響事業のSoundWichでは、独立を考えている中途の音響スタッフを募集したいです。

私自身は正直、物欲がそこまでなくて、SNSに出るような経営者といったキャラクターでもないんです。好きな車に乗れて、好きなときに食べたい食事が食べられれば、それでとても幸せです。どちらもたいして高級なものではありません。車は高級車じゃないし、食事も懐石料理や予約の取れない店に行くとかもないんです。比較的燃費の良い人間です。笑

だからこそ、毎日の景色を成長させて、変えていくのにこだわっています。自分だけじゃなくて、その刺激を仲間にも感じて、楽しい人生を送ってもらえることが私にとっての幸せです。

なので今後は、事業として新しいことにどんどんリソースを使って挑戦していきたいです。仕事で真面目にやる時はどこの会社にも負けないくらい真剣にクライアントに向き合って一生懸命に仕事をして、そのあとは仲間とワイワイして、そんなふうに暮らしたいです。責任感とワクワクが両方ある組織は、どんな時代になっても目の前の困難から逃げずに向き合えて、進化していけると考えています。

事業については繰り返しになりますが、大きな案件だけ、小さな案件だけと分けず、必要な内容を見て対応できる会社にしたいと考えています。撮影前の段取り、現場での判断、音響システムの準備、依頼者との確認。その見えにくい部分を省かず、問題なく現場を終えることが会社の価値になります。

人が増え、会社として受けられる仕事が増え、その経験が次の人や事業を育てる。そのために投資をしていく。3期目以降は、その循環を少しずつ形にしていきたいです。

天田陸人(株式会社RAHU)の撮影作品
Photography by Rikuto Amada

天田 陸人さんの History

高校時代High School
夜間高校へ通いながら、契約社員として約一年間ヘルパーの仕事を経験。資格も取得し、その時期に写真を撮り始める。
専門学校Photography
人物撮影の面白さをきっかけに写真の専門学校へ進学。その後、東京の代官山スタジオで現場の基礎を学ぶ。
その後Assistant
広告代理店に所属するカメラマンのアシスタントとなり、撮影現場の判断や仕事の進め方を学ぶ。
広島へHiroshima
母の体調を受けて仕事を離れ、半年ほど広島へ戻る。家族と仕事の優先順位を自分で決める転機となる。
東京へFreelance
東京へ戻り、アシスタント業務と自分の撮影案件を並行しながら、フリーランスのカメラマンとして活動。
現在RAHU
音響を担う高校時代の旧友と株式会社RAHUを設立。現在は3期目を迎え、大型案件の経験を生かしながら、中小案件と音響教育へ対応領域を広げている。
Interviewer's Note 権上 裕介(TOKYO≠LICKS 主宰)

天田さんのゆっくりと話す言葉と、その背景にある経歴を照らし合わせて感じたことは、節目ごとに「仕事をどう増やすか」ではなく、「誰と、どの責任を持って働くか」という判断が置かれていたことです。自己開示を恐れず、常にこちらのペースに合わせてコミュニケーションをとってくれる人柄からは、フォトグラファーとしての長年の経験値が伝わってきました。

家族の事情で広島へ戻るとき、天田さんは、目指していた働き方から一度離れることを選びました。会社設立時には、旧友との関係を曖昧な対等さのままにせず、最終判断と責任を自分が引き受けることを先に決めています。

どちらも、きれいな正解がある話ではありません。正解のない現実を知っている人にしかできない行動です。自分で優先順位を決め、その結果を受け取る姿勢は一貫しています。私は長い間、労働局に勤めていました。多くの経営者やビジネスマンとコミュニケーションをとってきましたが、じっくりと伸びていく企業の経営者には、共通してこのような性質があります。

法人化についても、税制上の利点だけで説明せず、フリーランスの仕事が安定した結果として生まれた退屈さや、「面白そうだから新しい形をつくりたかった」という本音まで話してくれました。株式会社RAHUは単なる法人化ではなく、仕事の幅を変える選択になったのだと思います。

今回のインタビューをきっかけに天田さんの写真を拝見して驚いたのは、作品のクオリティーの高さです。まったくの素人の私が見ても、商用、ポートレート、プライベート、どの作品も天田さんに共通する色彩や空気感が伝わって、気がつけば自分が目の前の写真を視覚以外の感覚で見ているような、不思議な気持ちになりました。SNSを開けば刺激の強いフィルターやAIで生成された画像が溢れていますが、長年写真を撮り続けてきたプレイヤーの作品からは、こんなにも澄んだ空気が生まれること。地元の海街の子供たちを撮った作品と、有名な俳優さんのポートレートが、天田さんの作品の中では同じような瞳でこちらを見ていること。写真という、本来なら時間という概念を持たないはずのものなのに、作品のすべてが繋がっているような気にさせられること。そのひとつひとつに、フォトグラファーという仕事の奥深さを思い知らされました。

編集部コメント / 権上 裕介(TOKYO LICKS 主宰)

株式会社RAHU・SoundWich(サウンドウィッチ)への撮影・音響のご相談

株式会社RAHUは東京・三軒茶屋を拠点に、写真撮影と音響ブランドSoundWich(サウンドウィッチ)を展開しています。東京で音響会社を探している方や、撮影案件でカメラマンの派遣・手配を検討している方は、メールでご相談ください。

amada@rahu-inc.com